そうこうしながらぬるくネットサーフィンを楽しんでいたところマイブログリストに登録しているkazunoblogさんというブログ(面識はありませんが)で思いがけないエントリーを発見し息を呑んだ。
2005年01月19日
●なーんか
今日は朝から気分がイマイチでした。特に理由はないんですけどね。
今後kazunoblogさんと私との接点をもう少し具体的に探る必要はあるかもしれないが(如何でしょうか>kazunoblogさん)、そうは言ってもはやり何か外的な要因が働いたとしか思えない偶然の一致にただただ唖然とするばかりである。
男性のテレビに対する思い入れというものに関してはこれ、女性の想像し得る限界を超越しているな、という風に思うのは福岡から上京したばかりの頃、うちの旦那が断固として揺るがない決意でもって購入意欲を示したのが今現在我が家のリビングルームにて、これでもか!といわんばかりに幅を効かせている50インチのテレビである為です。何をおいてもテレビ、テレビ、テレビ!!!少しでも大きなテレビを買わなければ思い描いていたいかなる人間生活も始まらないのだといわんばかりの情熱でもって巨大テレビの購入を押し切った夫の姿には何かしら動物的な臭いすら感じたものです。リビングが何十畳もあるというわけでもなく、部屋の大きさとのバランスで言うと明らかにテレビが大きすぎるのだけれどもそれでも尚巨大テレビを一途に欲した夫。家計を圧迫するとかしないとかいう話は一切忘れたことにして巨大テレビを一途に欲した夫。
その夫がつい数日前、再び目覚めたらしい動物本能に導かれるままに、30インチのマックのモニターを購入してきました。箱を縦に置くと身長約95センチの息子より大きいそれは、夫の仕事にどうしても必要だという話です。そう言われれば致し方ないので30インチを我が家に快く迎え入れた我々一同。ところがここで一つ問題が。我が家は夫の仕事部屋となるはずだった部屋に息子の屋内用滑り台がいつの間にか幅を利かせているために書斎がなく、またあったところで夫はオフもオンもそこに閉じこもって入り浸って引きこもってしまうことは十分に想像できるので、やむを得ずリビングの隅っこの1・5帖程の空間を夫に提供し、”書斎的スペース”としていたわけです。ところが今回30インチがやってきたために、我が家のリビングは前からあったテレビの50インチ+今回のモニター30インチ、計80インチを液晶モニターに占領されていることとなり、よくわからないけど電磁波だとか何とかも気になるし、それより何よりあっちを向いてもモニター、こっちを向いてもモニター的環境の異様な圧迫感の中で今後生活してゆく、ということにはそこはかとない違和感を感じたために、今日、思い切って大々的な模様替えを行ったのでした。
というわけで今日から我々夫婦は夜な夜な壁を隔てて、必要な会話はメッセンジャーで、という冷え切った夫婦生活を営むことになった次第でありますがそれでもまあ家庭生活は円満です。
今日は一人で赤ワインを1本あけました。
もう寝る時間だというのに息子がベッドにはいっても尚延々と、陽気にハイテンションおしゃべりを続けるので「寝なさい」と静かに、しかし力強く一喝し部屋の照明を落とした。私はそのまま目を瞑って寝た振りをしていたのだけれども、どうにも眠れない様子の息子、私の顔色を伺いながら再びぶつぶつと独り言を繰り返し始め、私はひとまず寝たふりのままで、じっと聞き耳を立てていると、「ママといっしょでしあわせ。ママ大好きだよ。ママもしあわせ?ママ大好き。ママ優しくしてくれてありがとう。」と言っていたのであった。
それだけ言うと非常にハートワーミングな美談として終わるはずのそれなのだけれども、実のところここ最近の息子は誰に教えられたのか極めて世渡りの腕を上げている様子で、旦那や私に自分の行動を咎められている際など、どうしてそんなことをするのか、という問いに対し9割以上、「だってパパとママが好きなんだもん」と返す。明らかに確信犯的で悪質極まりないのだけれども、頭の弱い親二人は最初の数回は確かに、一本取られたなあこりゃあ、という具合に頭をかきながら微笑ましく感じていたのであった。ところがそれで調子付いた息子が何度と無く同じことを繰り返すうちに、今となっては「それは今関係ないから」と簡単に一蹴される様になり、そんな状況に危機感を覚えた息子が、本人なりに頭を使い、新たな一手として打ち出したのが今回の、「優しくしてくれてありがとう」であった様に思われる。
思わず公共の場等のトイレで見かける、「綺麗に使ってくれてありがとう★」という巧妙な切り口の張り紙を連想してしまったわたくし。