今日のメモ
■ミッキーマウスマーチのリズムを溢れんばかりの笑みで「タッタターンタッタターンタッタタッタターン♪」と首を激しく左右に振りながら軽快に口ずさみ終えた息子、の表情がみるみる曇って悲壮感と虚脱感を同時に漂わせた様な沈痛な面持ちに変化した瞬間を目撃。何があったのかはいまだに誰にも分からない。
■息子と私の「どらえもんの道具出して!」コールに果敢に応えた夫。
「じゃじゃじゃーーん、ちゃんちゃんこーーーー!」
「はは。」
「…じゃじゃじゃーーん、刺身包丁ーーーー!…これはちょっと生々しいか。これは今一つ…」
「…」
■”猫にかまけて”(町田康)を読む。
猫のエッセイ、なのだけれども、数頭の猫をめぐって描かれた夫婦像には思わず涙が出るほど好感をもってしまった。
■夫の衣料品の買出しに出かける。トータルで○○円という結構な高値が付いたものの夫は上半期に1度と下半期に一度しか服を買わないので総合的に見ると経済的な男性である。
■産まれて初めて”すっぽん”を食べる。頭から徹底的に原型を排除する努力を惜しまなければなかなか美味しかった。
■森家に待望の男の子誕生。先日のS君宅に引き続きおめでたいこと続き。
そういえば私の周りでは妊娠していない人を探すのが難しいくらいのベビーラッシュ。でもって私もその恩恵を授かりたいものだけれどもなかなかそう上手くは。
すっぽん…。
p(*^^*)q
家事をしながら、特に食器を洗っている際に顕著に見られる症状として離脱、或いは浮遊とも言うべき、心ここにあらずな状態が挙げられる。今まさに自分が食器を洗っている、という現状認識が著しく欠落し、それと同時にまるっきりどうでも良い様な過去の恥ずかしい出来事や忘れたい後悔、自責の念などに完全に捕らわれる余り地に足が着かない状態に陥ってしまうという病である。それは時として未来への漠然とした不安となって現れる場合も少なからずある。自らの歩みを振り返りながら先のことを考える、という風に言えば一概に無駄とも言い切れない浮遊であるけれども、問題なのは一通りやるべき仕事を終えて、さあ腰を落ち着かせ、健気にも私の側でずっと待ちわびていた息子といざ遊んであげよう、という時にもその病を発症する点である。「お店やさーん、いくらですかー」「500円でーす」「500円はいどーぞー」といった単純な会話の中にも子供心をぐっと引き寄せる上手いポイントを押さえたいのに、といった具合で一度大人的思考が動き出すと最後、なんでこうなのか、それは自分のこういった性質に起因しているためではなかろうか、そんな性質は過去のいつごろ、どのようにして形成されたのか、と、今関係ないじゃん、な話で頭の中が一杯になってしまって気づけば浮遊してしまっているのである。子供と触れ合っている最中に現在から意識が飛んでしまうことのデメリットとは、多くの場合その時点では全く不要な危機感や羞恥心や後悔といった負の感覚に体力を消耗してしまうために、一つ一つの動きが無駄に投げやりになってしまったり、無駄にイライラしてしまうことである。心地よくさせるどころか無意味に動揺させる浮遊なのである。
これと同じことは人と何気ない会話をしている最中にも時折姿を現し、相手のことを思うが故に、何をどういえば相手の話を巧みに引き出し、聞き上手に徹することができるのか、などと考え出したが最後、聞き上手になるには、に端を発した人間論を脳内でエンドレスに展開してしまい最終的に相手の話など全く聞いていない、という狂気染みた醜態を晒してしまうことさえある。
当然のことながら、私はかなり前からこのことに非常に危機感を覚えていて、何とかしなければ、という風に考えていたのだけれども、前述の通りでそう考えれば考えるほど溺れてしまうという悪循環に陥ってしまうのであった。
ところが。今日読んだ本の中で私はとうとう、「グラウンディング」、その名も”地に足を着ける”、という画期的な解決策を見出したのだった。グラウンディングの手順を以下に簡単に紹介する。
1 自分の体内(筋肉、内臓の動きなど)に意識を集中させる
2 今そのとき自分が見につけている衣服の感触、また何か手にしていればそのものの感触にも意識を集中させる
3 風の音、車のエンジン音、工事の音といった耳から聞こえてくる周囲の音に意識を集中させる。
この3つの手順を、浮遊しそう、と感じたときなど意識的に行うと効果的に飛び上がった意識が過去や未来から現在に戻ってくるのだそう。実際に今日数回行ってみたのだけれども、確かにいつもより周りが心なしかクリアに映った印象。また夜、息子の肩に手を回し添い寝をしている際にも、いつもより私の腕に触れる息子のパジャマの質感がしっかりと温かみをもって感じられたと思う。
これを機にしっかりと地に足が着けば良いのだけども。
非常に多忙を極めた本日。
午前中本棚の配送、設置作業。
続けてカーテンの採寸、打ち合わせ作業。
午後になり昼食。
続けてクリーニング・買い物。
続けて夕飯、息子のお弁当作り。
続けて息子を託児所へ。
続けてMり子さんと合流、書店へ。
続けてサイン会へ。
続けて息子を迎えに託児所へ。
続けて息子、Mり子さんと帰宅。
続けて夕食。
続けて夫とそのお友達の新米パパを迎える、予定の現在午後23:55。
サイン会、また行ってきてしまいました。(supported by えつさん)
やむなしだったんです。
今後のモチベーションを長い目で考えても、今日参加せざるを得なかったんです。
天命であったんです。
前回は風邪の病み上がりのためか口数少なであった町田康先生。
今回は、…は、は、話しかけてくださいました。
一瞬のこととは言えその後息子のおみやげのトーマスを買うときにも、
財布からお金を出す手はかすかに、しかし確実に震えていました。
こうして今日もまたおいしい思いを。
私は長生きをしたいです(2)。
最近は専ら長生きしたいなあと考えています。
できるだけ沢山おいしい思いをしたいからです。
生きてさえいれば、少なくともおいしい思いを味わえる可能性がある。
私は家に来客があるとなるとそれはもう120%の頑張りを見せるのだけれども
それというのも「いや〜良い奥さんですね」という風に褒められておいしい思いをしたいからです。
先日も頂戴したズワイカニでカニ鍋を作って褒めてもらいました。
素材が良いので当然カニ鍋は美味しい、そこを褒められて尚一層おいしい、一石二鳥でした。
生きてさえいれば、もしかすると10年後か、20年後かに
思いがけない才能を発揮し表舞台で脚光を浴びちやほやされ、
大金を手にし左団扇でおいしい思いが出来ているかもしれない。
生きてさえいれば、もしかすると10年後か、20年後かに
思いがけない才能を発揮し表舞台で脚光を浴びちやほやされ、
大金を手にし左団扇でおいしい思いが出来るかもしれない、
という妄想で今からおいしい思いができる。
生きてさえいれば、もしかすると10年後か、20年後かに
息子が思いがけない大物になっていて
その生みの母としておいしい思いができるかもしれない。
生きてさえいれば、もしかすると10年後か、20年後かに
息子が思いがけない大物になっていて
その生みの母としておいしい思いができるかもしれない
という妄想で今からおいしい思いができる。
私は長生きしたいと考えています。
そのために毎日美味しいりんご酢を飲み、美味しい雑穀米を食べています。
未来のおいしい思いのために、おいしい思いで貯金をしています。
引っ越してきてから物置に放置したままだった開かずのダンボール数箱の整理を始めてみたところ思いがけない掘り出し物が次から次に出現しノスタルジックな気持ちに浸りました。ブックエンドが10個も出てきたのには正直引いたものの、捨てるに捨てられないもの、でもいらないもの、の類は今も1年前もそう変わっておらず、わけの分からないケーブル、わけの分からないリモコン、わけの分からないネジセット、わけの分からない書類ケース、わけの分からない油絵、わけの分からない変声機等、わけの分からないまま数回の引越しを経て今尚処分保留となっていた目の上のタンコブ的存在の彼等も、1年という時を経た今となっては全て何となく愛くるしい。ダンボールに詰め込んで放置しておいて言うのも何だけどそこはかとない愛着を感じるのです。
そんな中にあって、何よりリアルに訴えたのはやはり私が1年前に使っていた手帳。手に取って早々もしやと思い中を開いてみたところ、やっぱりあったのでした。思い立った様に始められ、2週間ほどで自然と打ち切られた、そこだけ見ても私の性格を如実に現している日記という連載が。そこには何日に誰々と会い、そのとき息子が何をして、夕飯には何を食べた、という様なおおまかな出来事が簡単に記されているのだけれども、読み返してみるとなかなかに染み入るものがある。丁度その日記を記していた時期というのは息子が不慮の事故に遭い、右足を骨折するという被害を被っていた時期と重なっていたため、事故から数日間息子がひどく臆病になり私の側を四六時中離れないだとか、ちょっとしたことで大泣きするだとか、今となってはすっかり忘れてしまっていた出来事なども記されており、あの頃の記憶が蘇って少しばかり胸が熱くなりました。
ところがそんな中にあるというのによくよく読んでみると私ときたら月のものか何だか知らないけれど2週間という短い間にも頻繁に気が滅入っただの鬱だのと恥ずかしい台詞をのうのうと書き残しており、当時の自分の未熟さに気が滅入りました。
悩み多きモラトリアム世代で自己主張するにも22だし、母だし、年齢的な限界を迎えてしまったし、
そんな今となっては少しくらい滅入っても晩御飯作れるし、生理前と満月の浮き沈みも随分コントロールできる。
無い物ねだりの有るべきバランスも然るべき度合いを保てている(と思う)。
終わり無き自己否定にもカンマ、ピリオドを打つべき場所を心得つつある(と思う)。
息子だって今となっては「いってきま〜っす」と言って一人でトイレに言って一人前におしっこ出来る。
おっぱいを飲まなくても眠れる。
一人で服を着れる。
上手にかくれんぼができる。
話せば分かる。
あの頃の私と、あの頃の息子に、1年後の二人がこういう風になっていることにほんの少しでも思い巡らせる余裕があれば
きっと今の様にはなっていなかったのに違いなく、
タイムマシンがあっても教えてあげないことに決めました。
先日公園で口説いたブラジル人親子のおうちに遊びに行く。
それまでのママとのメールのやり取りで住み込みのメイドがいるという話は聞いていたものの
それ以外では、東京では物価が高いので買い物は控えているだとか、
五反田のオムツが安い店に行っただとか言うので、
どちらかといえば彼女には庶民的な印象を抱いていたわたし。
ところが案内されたお宅は、一応はマンションとはいえ、
戸建にしても贅沢な程のありえない広さでエントランスに入るなり卒倒。
見た限りではリビングと思しき部屋が3部屋はあり、
そのうち私達の通された一室は、何十畳あるのか想像すら出来ない
もてあます程広々としたゆとりの空間となっていた。
壁一面の窓からは23区内であることを忘れさせる桜並木を臨み、
その桜並木に至っても入居者専用の中庭の一部とのこと。
先程から甲斐甲斐しく働く住み込みのメイドはというとブラジルから連れてきました。
一体旦那様は何屋なんだと思ったら某有名外資系企業にお勤めで、
実は私達家族も顧客でした、という思いもよらない接点に妙なテンションで沸く。
彼女は日本文化、特に幼い子供がいるために体に良いとされる日本食に深い関心をもっており、
アメリカの食文化が全世界で幅を利かせていることに疑問を抱いている様子。
子供にハンバーガーや油たっぷりのポテトやコーラまで与える親がいるんだからアンビリーバボー!
といった様子で熱弁を奮われるマダムに耳周辺がちくちくと痛むのを感じながらも
オーイエー!ジャンクフーッドゥ!と眉間に皺を寄せて総括できた私は以前より少し大人になりました。
それにしても外国人、特に欧米のママと接してみていつも思うのは
子供に規則正しい生活をさせる、という意識が我々日本人に比べると、
どうも平均的に高いようだ、ということ。
実際今日会った彼女の家でも朝6時という起床時間から3度の食事、お昼寝、
8時の就寝に到るまで、ほぼ毎日例外のないリズムが出来上がっているという話だった。
子供は9時には寝かせなくちゃいけないなぁ、と思いながらもお昼ねの時間や何やらで、
結果的にずるずると夜遅くまで寝かせられずにいたり、そうかといって7時頃から寝せてしまうこともあったり、
などということが日常的に頻発している我が家には、何か遠い世界の話の様に聞こえてしまう。
(確かに相手はブラジル人だけれども。)
我が家の堕落振りが日本のマジョリティーかどうかは別としても、
一言でマイノリティーとも言い切れないのではという個人的見解を踏まえた上で話を進めると、
この点の差異は子供を生まれて間もなく別室に寝かせる、という辺りに起因しているような気もする。
子供と大人のボーダーが日本の育児よりもより明確なことで、
大人が子供に与えるべきもの、或いは大人が子供に対し取るべき態度といった観念が
常に一環しているという印象。
普遍的な観念という点から言えば宗教的な背景もあるのかもしれないけれど、
例え少しばかり理不尽かな、と疑問に思うポイントでも
確固たる態度で一貫して強いることのできる大人の強さは、
ある程度は必要であるに違いなく、見習わなくてはという風に思う。
日中はお世話になっている家具屋さんにカーテンについての相談をしに行く。
年内には寝室と子供部屋の寸足らずのカーテンと決別したい旨を告げ、膨大な種類の中から布選び。
担当の人は家の中のことを良く知ってくれている人なので話はとてもスムーズに進行。
途中話は盆栽、球根の話題などにも及び極めてゆたかな気持ちに。
夜、飲み会の夫と入れ違いに妹が来宅。
息子と3人、近くの焼き鳥屋さんに夕食に出かける。も到着して早々、息子が「足が痛い、足が痛い」と泣きながら悲痛に訴え出しやむなく何も食べずに帰宅。帰宅するなり元気になる息子。何事も無かったかのように「焼き鳥食べたい」などと言う。焼き鳥は焼けないので煮麺の夕食。その後かくれんぼ、前転などをし普段通りに過ごすも、しばらくして再び先刻と同じ場所に痛みを訴え始め、暖かいタオルで暖めるなどして10分程経過した後、再度「治った」とけろり。美味しそうにカルピスを飲んでお店屋さんごっこなどした後就寝。
以前にも何度か今日の様なことがあり、一瞬ひやっとさせられるのだけれども、お湯やタオルで暖めるなどすると比較的痛みが和らぐ様子で、また翌朝になると足を引きずるといったこともなくけろっとしているので恐らく成長痛だと思われるのだけれども、一方でもしかすると明日はお天気が崩れるということだから、1年ほど前の古傷が疼いたのかもしれないとも思う。
ところで成長痛。
成長通、と言うくらいだから私は当然の様に、子供の体の急速な成長が体に負荷をかけてその結果痛みを生じるものだと思っていたのだけれども、実際のところ人間の体というのは痛みを生じる程どこかに急激な負荷をかけて成長するということはないのだそうで、一般に”成長痛”と呼ばれる幼児期特有の症状も、その原因は未だはっきりと解明されていないのだとか。そういうわけで、中にはその原因を親子間の愛情不足だとか関係性の希薄だとか、子供の精神的なものに求める専門家もいる、というのだけども、何かにつけて”愛情不足”を引っ張り出すしたり顔ほど胡散臭いものはない。テレビの普及が親子間のコミュニケーション不足に起因しているとかのあれと同じ類で、自分より後の世代を生きる後輩に何とか一言物申したいという欲求を満たすためだけの職権乱用に違いない。愛情(という表現自体そもそも漠然とし過ぎていてずるい)にしても、テレビにしても、要は全て度合い、バランスの問題なのであって、極端に不足していても、また極端に過剰であっても好ましくないのは何も愛情、テレビに限ったことではない。
”HAPPY”(浦沢直樹)1・2巻を読む。
夕方、日が暮れてから、思い立って息子と六本木ヒルズへ。
蜘蛛周辺の木々が異様なムードを漂わせながら赤にライトアップされており、息子興奮。
「えっ、なんでっ!?なんで〜っ?!きれいねえ!写真とってパパにも見せてあげなきゃ」と言うもののカメラも携帯も持ち合わせていなかったのでパパには次の機会でいいやろうということで了承させる。
何だかアリーナ周辺の警備が物々しいと思ったらその警備を取り囲む様にものすごい人だかりが出来ていた。けやき坂のイルミネーションの点灯式は終わったはずでは、と重いながら周辺で事情を探るとこれからポーラーエクスプレスの試写会でトムハンクスがやって来るところだったらしい。息子に、「トイストーリーのウッディの声の人見たい?」と尋ねると「バズがいい」というのでトムハンクスが現れるのを待たずその場を離れる。少し後ろ髪ひかれるおもい。
近くのスーパーで夕飯の食材の買い物をして帰宅。
夕食後”シュレック”を見る。ありのままの自分でいいのだというメッセージは分かったけれどケダモノはケダモノとしか結ばれないのね…と思うとどうにも。大体フィオナまで怪物である意味があるのか!こういう落ちを見ると必ず思い出すのがジムキャリーの"MASK"。垢抜けないリーマンだってブロンドの美女と結ばれたんだ!
深夜夫が妙なDVDを手に帰宅。「悲しみジョニー」
どじょうすくいを習得するべく旅に出るジョニーという思慮深い黒人が主人公。
”作業内容を失わないために今すぐバッテリーを交換するか充電してください”
私は主にダイニングテーブルでノートパソコンと向き合い唯一の趣味であるインターネットを楽しんでいるのだけれども、いかんせんコンセントからダイニングテーブルまで少しばかり距離があるために、パソコンのバッテリーが切れ上記の様なメッセージがモニターに表示されると、ダイニングテーブルをコンセント近くに動かすことにしています。家の中から延長ケーブルを探すより手早いからです。
しかし今日は先程電子ピアノ(ヤマハ・クラビノーバ)をぐいぐい押しつつリビングから子供部屋まで移動させたために腕がプルプルと震え、最早たかだか100キロちょっとではと思われるダイニングテーブルを移動させることすら困難な為、やむなく延長ケーブルを取り出してきた次第。ダイニングテーブルがあるべき位置に留まったままでのインターネットであります。
月のものの訪れに合わせて模様替えをしたくなる、という特異体質の実母の血をひいているためか、私も極めて模様替えが好きなのでして、現在のおうちが玄関から入ってキッチンとトイレとお風呂を除いて総絨毯張りなのを良いことに家中の家具を押して引いて、頻繁に一人で模様替えをします。そんな私に言わせても、電子ピアノは今まで動かした全てのものの中で最も重かった。思い起こせば実母も電子のつかないノーマルなピアノを、私が学校に行っている間に一人で6メートル程動かしていたことがあったけれどもやはり血は争えないのであります。
本日のメモ:
■公園で日本に来て約半年だというブラジル人の母子をナンパ。電話番号と住所とメアドをゲット。オブリガーダ。
■息子に1〜10まで数えさせると
「いち、さん、し、ご、ろく、しち、なな、はち、きゅう、じゅう」
と言うので結果的に10個は数を数えている。
■えつさんのブログで見た福井利佐展に是非行こうと思っていたら今日が最終日だった。無念。
■息子が最近覚えたうた。
・”♪うんちま〜ん、おしっこま〜ん”
・”♪こまったな〜、どうしよ〜う”(以上2曲作詞作曲 イエイリアキコ)
・”♪へんなお〜じさん、へんなお〜じさん、…だっふんだっ”(指導 イエイリカズマ)
私が公立小学校の学生だった時分などは、詩の朗読なり運動会の応援なりで必ずといっていいほどもっともっとと、先生や先輩が限度を知らない鬼の形相で声が枯れる程に強烈なやつをと要求してくるものでした。比較的優等生であったわたくし、それでいて無意味、という判断が下せるほど賢くもなかったわたくし、年上の命じることは絶対であると言われるがままに声を枯らしていた可哀想な子だったのだけれども、その後少しばかり成長して、色々と知恵をつけてくるとようやく、ああ、あんなに馬鹿馬鹿しいことはなかったな、と思うに至り、将来自分が産み育てる子には必ずや私立学校を、未だに根性、気合第一主義の蔓延する公立学校などには通わせるものか、と息巻いておったのであります。
ところがひょんなことで将来設計が少しばかり狂って19という歳で第一子を出産。そうなるとどうにも私の思い描いていた様な”我が子温室栽培計画”は、現段階で母親の最終学歴が生年月日で推測でき得る様な家庭の子供を受け入れてはくれない様であるので、そこをなんとかどうにもこうにも、とへこへこお願いなどするよりはこっちから願い下げである!というわけで早々と計画倒れ。それでもたまたま運良く、近場にて、ぽしゃった全計画への後ろ髪を全て断ち切ってくれる様な、非常に魅力的な、それでいてお受験云々といったものとは一切関係無しの幼稚園とめぐり合うことが出来まして、ようやく今日、息子の来年からの入学手続きを済ませてきました。
とまあ結果的には良かったのだけれども、昨日から今日にかけては久々に眩暈のする程の緊張感をうんざりする程堪能しました。というのも2001年4月〜息子の生まれた2002年3月末までという1年は、小子化の流れの中にありながらも愛子様誕生、キムタクの子供誕生と久々に当たり年だったらしく子供が多いのだそうで。この度我が家がお世話になった幼稚園でも、説明会の時点で「願書提出後に面接はありますが落ちる心配はほぼいりません」という話だったはずが”ほぼ”が落とし穴。いざ蓋を開けてみると入園希望者が定員を大幅に上回ってしまったために、面接の直前に講堂で先生から「何人か入園できない人が出てきます」という説明がありその場にいた誰もがみな聞いてないよ!!と呆然。サバイバルレースとなるのなら事前にそう言ってくれないと私なんて一人千鳥格子のスーツできちゃったよ!!息子だって上靴なかったから前使ってた外靴拭いて持ってきちゃったよ!!よ、良く見るとお昼食べた納豆のせいで頬もべたついている…!!目を白黒させている母親をよそに、それまでおとなしく私の横に座っていた息子があろうことか突如として、これがとどめだと言わんばかりに飛行機の滑空さながらの姿勢で先生の立つ壇上へ向けてタタタッと猪突猛進、その後ぐるぐるとステージ上を旋回、挙句それを見たほかの子をいたずらに魅了し、気づいた時には後ろに数台の、同様に小さい飛行機達をぞろぞろと引き連れており、”やめろ!やめるんだ!”と声を殺して再三呼びかけるも先頭に立って調子付いた彼は一向に翼を休める気配を見せず……有り得ない!!(>私信:戸田さん。)
そんな私の形相を察してか壇上の先生が
「うちではお子さんの態度で落とすということはありませんので」と。
ということは親…
…ま、回っている…、ぐるぐると…、視界が…、天井が…、いや…、息子が…、壇上を…、先生の回りを…。
思えば最後に”合否”なんて言葉を身近で耳にしたのは数年前の大学受験(不合格)以来だなぁ、などと過去を振り返れば余計に激しく落胆、何気なく周りを見渡してみても、恐らくほとんどの親が千鳥格子でなくグレーや紺のスーツを着込んだ、30代半ばといった面々。そうは言ってもグレーや紺のスーツを私が着るとどうにもリクルートだからやむをえないんだ!!肌色のストッキングが板についていないのは前日までストッキング一本も持っていなかったからなんだ!!…最早これまでなのでしょうかわたし。
しかしながら待ち時間の間に少しばかり冷静になって考えてみると、罪も無い子供(ぐるぐると旋回しているけれども)の将来が、親(千鳥格子を着ているけれども)のアドバンテージ、ディスアドバンテージで左右されるなんてことがあって良いはずがなく、そう思ってみるとわたくしは断固、その様な弾圧と戦うべきなのであるという風な気になってきて、どうにもこうにもこれは戦争だ、字は汚いが願書の志願理由の欄にもうまいこと書いた自信もあるし、息子は見事に滑空したが子供の態度如何は関係ないということであるし、確かに私は見事に千鳥格子だが、よしそれで落とすというのなら落としてみるがいい!私は落とされても落とされても奈落の底から壁伝いにどこまでも這い上がってくるその覚悟が今まさに出来上がった、いわば執念の塊魂なのだから!!!と次第に熱い気持ちになり、開き直って堂々たるふてぶてしさで面接に挑んだ結果今日、”合格です” と。
告げられた電話口で思わず泣きました。
ありがとう、幼稚園。
ありがとう、世間。