October 30, 2004

マイホーム(賃貸)の話


親切で確実でそれでいて少しだけ風変わりな不動産屋さんのお力をお借りしまして
未開の地東京においても大変に満足のいく現在のおうちとめぐり合うことができました。
さすがにこちらでの価格ということもあって家賃は以前よりはややお高いものの、
立地や設備には十二分につりあう上に、そうかといって必要以上に華美であるということもない、
私達家族の身の丈に合った生活を営める我が家でございます。

したがって、当然のことながら大豪邸と言うには程遠い、我が家(賃貸)でございます。
何百坪単位の土地に戸建(畑付)というスタイルが至極当然ともいえる福岡は片田舎で生まれ育った私としては特に目を丸くするほど広いともいえない、我が家(2LDK)でございます。

さてそんな我が家で、昨夜ふと気になって数えてみたところ
要所要所に用いられたる間接照明に、合計45個という驚異的な数の電球を使用していました。
実際には使用していました、と言ってもそのうちの21個という、
これまた驚異的な数の電球がが切れて使用できない状態となっていました。
最近日が暮れるにつれて気分が曇っていく気がしていたのは
気分の問題でなく視界の問題だったんだ!
と謎が解けて気分は晴れても解け残った視界の曇りは実際のところ死活問題であるので
今日早速、電球を買い求めに街へでました。

何しろ設計の段階で2LDKに45個もの電球を配置するような電球マニアの犯行、
使用している電球の種類も部屋によってまちまちであることは言うまでもありません。
例えばトイレという1帖にも満たない空間に2種類の電球が前方、後方と使い分けてあったり、
キッチンや風呂に至っては各3種類ずつもの電球が用いられてあったりで、
ちょっとやそっと電球が切れたからと言って、
コンビニやスーパーで代替品をそう易々と手に入れられては困ります、
という照明デザイナーのその心意気を
プロ根性とみるか何とみるかでは人間の大きさすら測り得るというものです。

で東急ハンズへ。

そろそろ映画を見る時間なのでここからは勇み足で説明すると照明屋のプロ根性はハンズでも遺憾なく発揮されこんな電球みつからんっちゅーに、という特殊な形状の電球に戸惑った私、何人かの店員に「すみません」と声をかけるも「あ、後で」と度々邪険にされ憤慨。憤慨しながら何度目かにモスグリーンの作業服を着た男性に「ちょっとすみません、いいですか」と声を掛けようやく「いいですよ」といういい返事を頂戴したので「この電球どこですか」と尋ねると「あ、私、店員じゃないんで」といわれて絶句。いいですよって何のことだったんだこの作業服!かくかくしかじかで求めていた電球、スペア分を含めて29個購入。家に帰って21箇所の取替え作業を淡々とこなし、こなし終えた頃には154センチの身長がたたってふらっ、ふらっ、眩暈がっ。

という経緯で今現在我が家には一点の曇りもなく、灯りという灯りが煌々と灯っております。

あかるい、わっ。


それではこれから照明を落としてキャシャーンを見るので失礼。

October 23, 2004

やばい

午前。

朝起きたらいきなり顎関節症になっていた。
ちょっとでも大きく口をあけようとするとガクッ、ガクッと音がするので今に顎がはずれて廃人の様によだれを垂らす羽目になるのではとガクガクぶるぶる(畳み掛けます)、やばいと思ったら行動が早いのでインターネットで見つけた最寄の整骨院で午前中のうちに施術を。小学生の頃から電気治療など受けていたけど内臓の位置まで調整されたのは初めての経験であった。左の卵巣の位置が少し…、などといわれ四つんばいでグイッ、ガクッ。うっ、ぐふっ、ぐえっ、などと思わず漏れる声も無意識にパンチが効いてしまうのであって、男性の手の内でころころと転がされているわたし…、というふうにいえばどことなくいやらしいけれども現実にはいやらしさなど微塵も感じさせない、(冷や)汗のにじむ治療。汗水たらした甲斐あって顎のゆがみもたちまち解消されたのであった。

昼。

整骨院からの帰り道、薄暗い高架線の下に差し掛かるとどうみても異常な人が何十台も並んで留めてあった目の前の自転車にいかにも大げさに蹴りを入れていた。腹が立っていたのかそれだけでは飽きたらず通りすがる人に向かって噛み付かんばかりの勢いで何か意味不明なことを叫びながら。やはりそこはやばい、と思ったら行動が早いので走って逃げた。


午後。

息子のおもちゃを買いに家族で新宿の伊勢丹に。途中パジャマを買うべく立ち寄った日用品のフロアで思いがけず栗原はるみさんに遭遇。「ごちそうさまが聞きたくて」持ってます。勢いで握手をしてもらう。お料理をしている人の手、おばあちゃん、お母さんの手であった。感動。そこへ、地震。クリスマスツリーがぐらぐらと揺れていた。やばい、と思ったので帰ろうとエスカレーターで2フロア分降りたけれどもどうやらおさまった様子なのでとりあえず迅速におもちゃを買って迅速にお寿司を食べて帰宅。家に帰ってテレビを見て新潟が大変なことになっていたことを知る。


喰うか

喰われるか



タスケテー!

まがめやはぬかまださかいなまだかもんがるばっかーまがめや822ぬかまださかいなまだかもんがるばっかーヤーーッ!!


October 22, 2004

ねんど

でつくりました。
投稿者 Akiko : 11:02 AM | コメント (1223)

October 20, 2004

おやすみなさい。

今日は児童館で出会ったフ○ンス人学校の諸生徒の余りにも目に余る暴挙に仏のわたくしも怒り心頭、つい先程まであれこれ全てぶちまけてやると息巻いていたのだけれども、そんなことはもうどうだって良くなったのです。取るに足らない出来事として処理したのです。何しろこの2年と7ヶ月間、一日も欠かさずおっぱいと共に眠りについてきた息子が、先程初めて、十分に納得の上でおっぱいと離別、何ものにも吸い付くことなく、夢の国へと出発することができたのですから!今日は記念にその一部始終をここに記録しておこうと思います。


そもそもここ数日、息子は非常に態度が立派で、まだ電車ごっこで遊びたいという気持ちを上手に制御し、「おやすみなさい」と父親に挨拶しベッドへ入ることができるようになっていました。どうやらそれはおやすみ前の日課となってきた絵本によるところが大きい様なのだけれども、いつもは絵本を数冊読み終わった後おっぱいに切り替えておやすみ、となるところを、何となく今日はいけそうだという母の勘が働いたので、「今日はおっぱい飲まないで寝てみようか」と切り出すと息子は二つ返事で承諾。そうは言っても半信半疑で「じゃあおやすみー」と親子三人言い合って、夫と二人寝たふりをしながら様子を伺っていました。すぐには眠れない様子の息子はそれからしばらく、「明日は電車で遊ぼうね」「明日はモンスターズインク見ようね」「明日運動会行こうね」「明日ばあばのおうちにいこうね」と明日のスケジュール決めに余念がない様子。最初のうちは眠くなるまではと、その都度「電車で遊ぼうね」「明日は運動会ないよ」「明日は台風だから飛行機飛ばないよ」と返事を返していたものの、あんまり会話が弾むのも本末転倒なので途中で再度「おやすみ」をしてぐーぐーと寝たふり。途中、息子が眩しいと訴えたので灯りも消しました。以下はその後の息子の一人舞台の様子です。

「なんにもみえない。
どうしよっかなー。
はぁ。
もう寝よっと。
はぁ。
どうしよっかなー。
ママのお友達。
ママのお友達の。
ママのお友達の。
ママの、お友達。
大好きなママ。
大好きなママのお友達の。
大好きなパパのお友達の。
ママのお友達のぼくの。
みんな、寝てるよー。
みんな、寝てるよー。
どうしよっかなー。
はぁ。
もう寝よっと。
まっくら。
なんにも見えない。
明日は、モンスターズインク見よっと。
明日は、ロボットであそぼっと。」

こ、壊れたのでは、と一瞬ヒヤッとしたもののどうやら余りの眠さに極限状態にあったようです。
何しろ「大好きなママの」の下りが登場する辺りでは息子が寝たフリをしている私の頭をそっと抱き寄せ、手のひらで優しく撫でてくれまして、暗闇も相まって、私は何か息子の中に新しい宇宙を見た様な気がしました。

しかしながら終わりなき独演を見かねた夫が途中、
「あんまり寝ないとなまはげがくるよ」
と声をかけ、それで寝るのかと一瞬ぎょっとしたものの、意外ににも観念した様子の息子は、そのまますぐに、すうすうと小さい寝息を立て始めたのでした。


それにしたったいつの間にこんなに大きくなったというのか。
願わくば今日だけはお菓子と電車とトイストーリーに囲まれて、
おもちゃを独り占めしても叱られない夢を見られますように。
願わくばなまはげが夢にまで追いかけてきませんように。

おやすみなさい。ママの大好きなこども。

October 19, 2004

チンチロリンと


先日、夕食後窓を開けて息子と二人電車ごっこをして遊んでいると、突如、息子がはっとした様子で「蝉が鳴いている!」というので、「もう秋だから、蝉じゃなくてコオロギだよ」と教えてあげました。もう随分冷え込んだ空気に、リンリンと小さく響くコオロギの羽音はなかなかに乙。ほんのりと郷愁に浸ったので、勢いで、ちょっくら一杯付き合ってよ、と若者(2歳)にからんだりなどしつつ秋の夜長を満喫しておりました。不思議なもので蝉にしてもコオロギにしても、わーっと一斉に鳴いてはふっと止み、またわーっと鳴いては一斉に止み、それを何度も何度も飽きることなく繰り返すのでございますね。息子はその都度、「あ、鳴いている!」「あ、いないよ!」「あ、鳴いてる!」と実況するのでありますが、東京という地で、これ程季節感を味わうことができるというのは意外だったなあ、と親心にも感じ入るものがあり、長いこと親子で秋の音色に耳を澄ましていたのでした。

ところがその何度目かの「鳴いてる!」が少しばかり尋常でないものであったのです。それまでの上品さを微塵も感じさせないけたたましいボリュームで、何かしら危機迫った様にリンリンリンリンッ、と鳴き喚くコオロギ。猫だって集会を開くんだから、もしかすると今日はコオロギの集会かな、という風にも思ったのだけれどもそれにしたって異常です。もしかするとこれって大地震の前兆…?!胸騒ぎをよそにリンリンの熱唱は先程までと同じように数分間響き続けた後、ふっと止み、再び熱唱、再び休憩、熱唱、休憩、そんな具合で規則性は変わらないまでも、そのボリュームはやっぱり普通でないのでした。コオロギの底力を見せ付けられた様な思いでした。


翌日、マンション共有部分の掲示板に一枚の張り紙が出してありました。

「昨日は私どもが鍋を空焚きしてしまったことにより火災警報機を誤作動させてしまい…」

少しばかり田舎に長く居過ぎた様です。

October 17, 2004

一人旅(徒歩編)

夫と息子がお留守番をしていてくれるというので、夕暮れの街を一人ぷらっとショッピングに出かけることにしたのだけれども、側に息子がいない、夫もいない、誰もいない、一人。

勝手が分からないのであります。

誰とも繋がっていない、完全にフリーな両手をどう振って、どう足を出して前進すれば良いのか、一度考え出すと我が内にある自意識メーターが急激にその指針を動かしだし、ましてやよさそうな店内に入ってみよう、お洋服など手に取ってみよう、ともなるともう両手両足どころの話でなくなり、どんな顔してこの物と向き合えば良いのか、「ふむふむこれはよさそうだ」といかにも満足げな表情を作るべきなのか、否そこまでするのはちょっと不自然なのか、頬の筋肉がぴくぴくと勝手に動き出しまして、ついにはそんな自分が滑稽で顔がにやっと緩んだりして。大体自意識が意識する程自分が他者に見られているなんてことまずないってそんなこと分かっているのでありますが、自意識大暴走の結果、この秋のトレンドとはいえただの布を前に喜怒哀楽を人工的に誂えた百面相は傍目に見ても尋常でなく、またそれをすることより一層他者のいぶかしげな視線を集めるという悪循環、そんな事実にもまた苦笑いで、にやりという駄目押しの裏づけも有りです。もともとしたり顔で帽子を被って戸外を出歩くことが出来ないという点で、それが出来る人たちに比べても私は自意識が執拗に過剰なんだという認識は持ち合わせていましたが、まさか一人で歩くこともままならない程とは。

歩くとき、頑なに下ばかり向いて好みの石探しに没頭する息子は、放っておけば電柱にぶつかったり、ガードレールにぶつかったりなど平気でするのでやむを得ず私は始終口うるさく、手を繋ぎなさい、手を繋ぎなさい、と繰り返す羽目になるのだけれども、正直に打ち明けると気分爽快な朝、のどかな午後などは特に、何に気を揉むこともなく、鼻歌を口ずさみ、時折スキップを取り入れたりしながら、自由歩きたい、という風な願望を少なからず抱いていたんです。しかし、いざ現実にそれが出来る環境を得てみると母でなく、妻でもない、一個人であることに戸惑ってしまう。誰々君のママという肩書き、誰々の奥さんという肩書きに個人である自分が埋もれてしまうことは不本意以外の何ものでもないのだけれども、その一方で、息子に四六時中注意を注ぎ、母という肩書きの下にいることに、私自身も少なからず、居心地の良さを感じていたのでした。保護者という立場に、いかに庇護されていたのかという痛い現実。

すっかり日も暮れた帰り道、住宅街を抜ける細い一車線の道路。たまにすれ違う人たちが一体どんな面持ちで歩いているのか暗がりの中を横目で執拗に気にしながら、尚も妙な足取りでよろよろと歩いていると、ふと、どこからともなく煮物の、甘辛い香りがぷーんと漂ってきました。無意識に目をやった知らない家の窓からは網戸越しに下着姿の痩せたおじいさんとちゃぶ台とテレビ。蛍光灯の白々とした灯り。

はー

とわざとらしいため息を一発大きく吐いてみたところ、急にあれこれどうでも良くなり、肩がきゅーっと丸まって、もてあました両手はごく自然にポケットに収まり、足の裏には地を踏みしめる確固たる感触をひしひしと感じつつ、さーて家へ帰ろう、と、思いました。

October 15, 2004

勢い

余ってブレッドメーカーを購入してしまい完成した食パン!
投稿者 Akiko : 08:29 AM | コメント (1033)

October 13, 2004

パンつ

くったことあります。
投稿者 Akiko : 11:46 AM | コメント (1040)

October 12, 2004

ものづくりにっぽん

一度使ったタオルを乾かして2度も3度も使うなどという野蛮な行為は基本的に我が家では反則なので洗剤・柔軟材はいくらあっても足りません。そこで買ったのがこれです。

  

態度がでかけりゃスプンもでかい。
息子の顔程もあります。しかしながら洗濯の回数が多いからと言って洗濯機が馬鹿でかいということはないので計量スプーンでは全く意味を成さずやむなく毎回目分量。合わせて柔軟材も目分量ですが特に支障ありません。

アタックでなくtide、ボールドでなくtideなのはたまたま東急ハンズにこれしか売ってなかったからです。
同じ理由で、我が家の食器洗い洗剤は敏感肌用アイボリーです。白いジョイがなかった為やむなく代用品として買ったものです。これが曲者でしてトイレの芳香剤の匂いがします。時折腐乱したホワイトアスパラガス(缶)の匂いと相俟るなどするとよりリアルにトイレの匂いとなります。小熊と少女の可愛いイラストで御なじみ、柔軟材ダウニーのあのゴム臭さえ許容できる寛大な嗅覚の持ち主ですが敏感肌用アイボリーだけはそのキャパシティーを超越してしまいました。

さてそんな疲れた鼻を癒すべく、昨夜は寝室に電気式オイルポットでラベンダーオイルを焚いて眠りました。


ひどい頭痛で目が覚めました。

October 11, 2004

1割は事実です

★ヒガロ・シャポン パリ特派員ダイヤリー

10月◇日 雨
1週間程日本に帰っている間にパリのアパルトマンには山の様なパーティーの招待状が。いくつかピックアップしている中に思いがけず古い友人カップルからのポストカードが。…今夜来る、ですって?!大慌てで軽食(メインはフランスパンに合鴨のローストとスライドオニオンを挟んだサンドイッチ)とワインに少しのチーズを用意し終えたところにタイミング宜しく現れた二人。アバンギャルドアーティストのマルコと新鋭デザイナーのリンダ。前々から素敵なカップルだった二人も晴れて結婚、とのこと。突然の嬉しいニュースに帰省の疲れもどこへやら、ジュテ〜ム、ボンジュ〜ル、ボンソワ〜、パッリ〜★とワインの空ボトルをマイクに絶叫の一夜。パリでは嬉しい夜に決まって、男性はネクタイをはずしワイシャツのボタンを上から3つくらいまではずした後、タイを横方向に結び目がくる様額にくるりと巻く。当然今夜も、パリジャンスタイルは欠かせない!?

10月△日 曇り
今日はセーヌ川沿いに立つシャンパングラスを象った奇想天外な外観で有名なカッシーナイクスシーにてカクテルパーティー。美しい家具と共に、今回は版画家、山本容子さんの素敵なイラストや版画が多数展示・販売してあり、招待客はシャンパンと、ジャズの生演奏の調べにあわせて優雅な時間に酔いしれる。当然のことながら今夜も嬉しい夜のパリジャンスタイルは欠かせない。アバンギャルドな筆者も思わず見知らぬ紳士からタイを拝借、D&Gのブラックのドレスに赤とグレイのストライプの冠をオン。行き交う紳士とタイの端を、頬の横で小さく、鐘を鳴らす様に振り合って生まれる一体感。ビバ!カッシーナ!そんな中、思いがけず山本容子さんらしき人物に遭遇。50代とは思えない余りの美しさに近寄りがたく、声掛けはおろかチェキでパシャリもやむなく断念。不甲斐なさを隠す様にやみくもに口にした白濁のカクテルは豆乳、青汁、りんごジュースをブレンドしたノンアルコール。憎らしいまでに体に優しい配慮も、さすがカッシーナイクスシー。宴も酣になった頃ようやく山本容子さん満を持して本物の登場、って人違いをしていたことに気付く。帰りのタクシーの中で山本容子さんと百万回生きた猫と谷川俊太郎が何の関係もないことに気付く。シャンゼリゼ通りの風に揺れるネクタイを、アルコールでやや火照った頬に感じながら、数多くの新しい発見をくれたカッシーナにほんのりと思いを馳せる。

October 05, 2004

じゅげむに半分移行しました。

■先日用があって熊本まで行ってきたのだけれども、帰りの飛行機の席が一本通路を挟んでますぞえ要一さんの隣でした。数ヶ月前の横浜・中田市長に続く公人との2度目の遭遇に「報道K宣言!」(福岡のローカル番組)と何度も声を掛けようと思ったのだけれども何か無言の圧力を感じ結果的には断念。ダチョウ倶楽部なんて竜ちゃんから話かけてくれたのにオトコ組だって微笑みかけてくれたのに、センセイともなるとそういう親近感感じさせないオーラでもでてるのかと思ったら良く考えると圧力は反対方向からかかり気味で、「やめろ、やめろ」と夫がしきりに目で訴えていました。何故だめなんだ!!

■息子に晩御飯を食べさせてあげていたら「ママ、えらいね〜」と褒められました。「あ、ありがとうございます」とお礼を言うと「褒めてあげるよ、えらいね〜」ともう一度畳み掛けられ、大げさに喜んで見せると気を良くした息子が、「もうおにいちゃんになったからじぶんでねるよ、ママ、さみしい?ぼくさみしくないよ。おしっこもひとりでいくよ」と。極めつけに「ぼくがママをまもってあげるよ」と告げられ、妄想さえ追い付かなかった超現実に思わず何者かが私をはめようとしているのではないかと、隠しカメラでも仕掛けられているのかと、エルが私を犯人だとふんで反応を見つつどこかで監視しているのかと(”Death Note”より)。…否仮に例えそうだとしてもいいんです、わたしは。息子の口からそんな台詞が聞けたのだから盗聴されていたって盗撮されていたってはめられていたっていいんです。また仮にそうでなかったとして、私の様な小市民の身に起きても本当に支障ないことなのか、どうなのかこれは、と猜疑的になってしまうほど、余りに崇高なこの体験が、種も仕掛けもない現実であったとすれば、そうだと仮定すれば、知らず知らずに、今日一日で明日から1年分くらいの運を使い果たしていたとしても、いいんです、わたしは。