June 11, 2004

脳裏に

今日は高校時代の友人と久々に再会して、あの頃よりもっと濃い話ができて、おいしいご飯も食べて、とっても楽しかったのだけど、帰り道のタクシーで、交通量の多い片側二車線道路で今まさに車にひかれて転がりながらも、必死で起き上がってしまったためにまたもう一度ひかれそうな瞬間のパニくった猫を見てしまって、その光景が目にやきついてしまって
投稿者 Akiko : 03:35 AM | コメント (1058)

June 09, 2004

子供の教育において基本的には子供の意思を尊重しながらも悪しき点はじっくりと説明することで理解させるってそりゃあ確かにそれに越したことはないと思います。けれども他人に危害を加えているのであれば説明とか何とか言う前に力ずくでもやめさせるのが先決で、そうすることでやってはいけないことは本当にやってはいけないと言う、教える側の気迫や熱意を感じさせるべきだと私は思います。幼児にとってそれが一度や二度で理解出来ないことくらい私も重々承知しておりますが、だからこそ噛んだり叩いたり引っかいたり掴み掛かったりすると分かっているのなら親は出来るだけ気を休めずに子供の側についているべきです。スーパーにて、他人の手にしているものをことごとく乱暴に取り上げる子供に、「全部あなたのものなの?あら、あなたはお店やさんなの?」とライオンも眠る穏やかな口調で語りかけるのも良いけれど、その前にお母さんはお友達に掴み掛かっている我が子の手を制するべきです。お友達に噛み付いた我が子に謝りなさいと繰り返し諭すのも良いけれど、それは二次的な、そちら側の問題であって、事の重大さを思うのならばその前に親として先にすべきことがあるはずです。

私事ですが息子も現在「取り上げない」「叩かない」等お友達とうまく付き合う術を人一倍難航しながら学んでいる最中ですので、悲しいかな大抵のことには免疫があるし、少し前には息子だってお友達を噛んで真っ赤な歯形をつけちゃったこともあるし、また何とかそんな状況を乗り越えさせようと暗中模索する保護者の心情は痛いほど理解できるはずなんですが、明らかに我が子に非があるということの一部始終を把握していながらそのことを咎めない、そればかりか、そのことで我が子が自分でなく、お友達のお母さんから叱られているという状況を平気で無視していられる親の心情は如何せん理解できません。

お母さんいい加減にしてよと、とうとう言えなかった不甲斐なさ。

June 07, 2004

週末

車の通りの多い道でギリギリで危険を回避したり、やたら血の気の多いお祭り騒ぎに遭遇したり、ボールをぶつけられたり、穴にはまったり、壁にぶち当たって砕けそうになったり、l何かとストレスの多い日々です。

-------> 塊魂ここまで。<------


■土曜の夜はご近所のお友達一家と中華料理屋さんで刀削麺の夕食。
日曜はおなじみの八百屋さん御夫婦と東京に来て以来初めて電車に乗って(雨のため予定返上で途中帰宅も)鎌倉見物へ。
何度も引越しを繰り返している私達夫婦ですがある特殊なケース(コードネーム:"oni-chan")を除けば、いつだって親切なご近所さんにばかり恵まれてきました。今回もまた然り。本当にラッキーです。幸せ者です。

■前回のエントリーに関しての追記はもう少しばかり待ってくださいね。

June 05, 2004

トラックバックしてください。

ブログ界でトラックバック企画、なるものが存在していることをこちらのサイトで初めて知りました。私は以前からメールフォームか何か設置してやってみたいアンケートがあったのだけど、なるほど、ブログにはトラックバックという便利な機能がついてるのだから、私もひっそりとトラックバック企画を実行したいと思います。ブロガーの皆さん、どうかご協力のほど、宜しくお願いします。

さて、ある知人の美大生の話なんですが、彼女が最近付き合い始めたばかりのボーイフレンドは、少し前まで歌舞伎町のキャバクラでポン引きをやっていた、肝と目の据わったヒゲ面です。彼女曰く、彼は何事に対しても完全に執着のない極めてドライなタイプの男性で、今現在のところは足しげく自分の家に通ってきてくれるけれども、彼のことだからいつドロンするか分からない、だから好きだと告白された際にも、「嫌になったらいつでも無理しないで消えちゃっていいですから」と答えたのだとか。一方それに対しヒゲは、「じゃあ飽きるまでいていいってこと?」と言って今に至る、と。思わず、「そんな自分勝手な人のどこがいいの?」という疑念を抱いた私に彼女、「可愛いんだよね〜」と言うんですよ。強面の上に実際、堅気でない類の人たちからも様々なお誘いを受けるという彼を、可愛いという彼女。で、やっぱり、「え、どこが?」と聞いてしまった私に、彼女はひっそりと打ち明けてくれました。

夜、ヒゲは、彼女の歌う子守唄を聞きながら眠るのだそうですよ。

かつて「ティーンズハート文庫」と「りぼん」と「なかよし」に置き忘れてきた心を、頬を赤らめつつ一瞬取り戻せた様な気がしました。尾崎豊熱も再燃しました。”きしむベッドの上で〜”…二人は優しさを持ち寄っている!!確かに、少なからず好意を持っている人が、回りの誰も知らない一面を自分だけに見せてくれるって嬉しいものですよね。そうです。そうですよね。しかしその一方で、時に垣間見た思わぬ一面で相手に激しく幻滅させられる可能性だって無いとはいえない、一度転がればどちらに転ぶかわからない目に見えぬ球体、塊、…塊魂、…それが恋!


そこで結婚3年目、新婚とは言えなくなってきたわたくし、恋という名の塊魂はそろそろ転がし終えつつあるわたくし、…或いはもしかしたら既に固まりは回転をやめているかもしれないわたくし、この場を借りて皆さんに伺いたい所存です。

「一見〜な<彼・彼女・夫・妻>が実は○○だったというギャップに△△と感じた」又は
「一見〜な<男性・女性>が実は○○だったら△△だと感じる」


〜、○、△を埋める感じで、ついでにちょっとした解説や余談を添えて、二人だけのちょっとした秘話、もしくはあなたの持つ異性への価値観を教えてください。


因みに私の場合、”一見ロックでパンクな男性が、実は繊細な文を綴る素晴らしい文才を持ち合わせていたらこの身をささげても良いと感じます。” (ターゲット絞り気味です。)

がその実結婚した相手は…、という話はまた次回にということで、皆様のご協力を心よりお待ち申し上げております。


June 04, 2004

エラ・フィッツジェラルド

私のような者が恥をしのんで言いますと高校を卒業後の数ヶ月、エラ・フィッツジェラルドに憧れてジャズシンガーを目指していました。しかし結婚、妊娠、出産(この順序重要)など個人判断で先送りに出来なかった出来事が色々と重なって、3年ほど経過した今ではあの頃の記憶も熱意もほとんどその輪郭を失って、少しばかり空しい気もするけどそれはそれで片付いてしまう、で、そんな自分さえ許容できてしまうという現実。あの頃一番良く聴いていたエラのベストはもう会わなくなった友人に貸したままで、めまぐるしく過ぎていった3年という月日を、ジャズからもエラからも遠く遠く、離れて過ごしてきたのでした。そんな中、今日、何となくCDの整理を始めたらつい、エラの不朽の名盤、”ella at the operahouse” が何となしに目について、何となしに再生してみたらば私、震撼してしまったのでした。


アーチストと呼ばれる人々の中には、その多感さが故に精神を病んでしまうという人も少なからず存在するけれど、私は表現者として優れた能力のある人というのは皆、基本的に、人間的な部分でのキャパシティがほかの人より際立って大きいと思います。そう一言で言うと語弊があるかもしれないけれど、つまるところ極端に無邪気に他人を信じてしまう人と、極端に努めて他人を疑ってしまう人が内面で必要とする対外向けの受け皿は、結局のところどちらも極端に大きくなければならないという点で同じであるということです。苦しみ、もがきながら、大きな受け皿で、人一倍多感に色々なものを感じ取ってしまう人が、その大きな受け皿から更にこぼれ落ちてしまったものを発信するのだから、その産物が私達凡人の平凡な感性に訴えかけないはずがありません。


あたかも世の中の酸いも甘いも全てを、諦観という、しかし無限の受け皿でもって受け止めたかの様に発せられるエラの歌声。包み込まれる暖かさをより際立たせている正体は、隣り合わせにひっそりと影を形成している絶望と孤独です。始まりと終わり、光と影、喜びと悲しみ、良いものと悪いもの、全て分け隔てなく受け止めたスピーカーが発する音は耳で拾うたびにその色を美しく変え、けれど何だか必ずどこかしらに喪失感がつきまとって、私は少しだけ、失いかけていた遠い日の記憶をたぐりよせたのでした。

ちなみにエラの生涯をまとめたDVDによると、19歳でジャズバンドのボーカルに抜擢されたエラは、しかしその後何年もの間、バンドのマネージャーに決してバラードを歌わせてもらえなかったのだとか。確かに軽快なリズムや、エラ独特の、楽器を模倣した爽快なスキャットが通用しないバラードで十分に聴かせるためには、それ相当の人生経験が必要不可欠なのかもしれません。とは言え、楽しい曲を心から楽しく歌うのと、悲しい曲を心から悲しく歌うのと、その実どちらも大差ない様な気がするのは、、今日に至るまでに、生前のエラの成し遂げた功績を知っているからこそなのかしら。

June 03, 2004

お友達のヤマモトさん一家が東京へのお引越しを無事に完了された様でほっとしています。とは言え奥様の日記にてその間の一部始終を拝見すると、他人事とは思えないあれこれに思わずくらっと眩暈が。
小さい子を連れての飛行機搭乗って本当に大変です。
東京引越しが決まるにあたって、東京⇔福岡間の行き来を度々繰り返した我が家では、一時間半という搭乗時間を出来るだけ穏便にすごすべく、最近では専ら、以下の三点を心がけることにしています。

1 スーパーシート

そもそもその名称から、スーパーな身分のお方でないと搭乗不可なのでは、というあらぬ錯覚を起こさせるスーパーシートでありますが全日空は一席、運賃+4000円で搭乗可能です。つまり夫婦二人では+8000円。東京〜福岡間、片道1万円だってありのご時世、ちょっとしたオプションで8000円は高いようですが、たまの贅沢で回らないお寿司やフルコース、或いはコンビに弁当の代わりにたまのロイホがありのご家庭では十分に考慮に値する金額ではないかと思うんです。
スーパーシートの利点は何と言っても一席のゆとりです。一人で乗る分にはそう苦でない普通席も、自分の動きをうまく制御できない幼児を膝に抱えて乗ってみると本当に狭くてその後の1時間ちょっとを思うと気が遠くなります。しかも3列席の真ん中だったりして、あろうことかそのうちの一方が比較的体の大きい人だったりして、もう片方は強面だったりなんかすると思わず泣きたくもなります。幼児にとって、長い飛行時間をやり過ごすための気晴らしのおもちゃは必要不可欠ですが、子供というのはお前わざとかと疑いたくなるくらいこれを良く落とすのであって、しかも大人はその都度それを拾い上げなければならないのであって、そういう一連の動作などを考えても、両脇、或いは前後に、ある程度のゆとりは絶対に必要です。スーパーシートなら大人がゆうに足を伸ばせる程度の余裕があるため、座りっぱなしで疲れてしまった子供を、気分転換にたっちさせるということも可能で、スペースのゆとりは親の心持のゆとりにもつながります。(因みに余談ですが、全日空のスーパーシートでは通常有料で販売されるアルコール類が一切無料になります。朝、夜には焼き菓子等のお茶菓子が、お昼時にはお弁当が出ます。)


2 搭乗直前に空港のお土産屋でお菓子・ジュース・音の出ない小さめのおもちゃをいくつか買う

お菓子・ジュース・新しいおもちゃは切り札として言うまでもなく必要不可欠です。中でも特におもちゃ選びは、お子様の嗜好、興味に配慮して出来るだけ慎重に行う必要があります。でなければ飽きっぽい子供のこと、切り札が切り札として作用しなくなってしまいます。息子の場合、大当たりだったおもちゃは電池で動くトーマスでした。これが大変に良くできていて、機内の座席に付属されているテーブルの上で走らせても、端まで行って、その先に道が無いということを察知すると、自発的に方向転換するのです。なのでちょっとやそっとでは落ちません。また静電気でプラスチックにくっつく、何度もはってはがせるシールも思いのほか良い働きをしてくれました。そして極めつけはシート備え付けのイヤホンです。スーパーシートのイヤホンは微妙に上質でプラグの抜き差し程度しか子供の関心をそそらないつくりなのだけれども、一般に機内で使われている単純なストロー構造のイヤホンは、もしもしごっこが出来て思いのほか子供も興味津々です。

3 離陸前に隣席の搭乗客には自分最高の低姿勢でご挨拶をしておく

自分でもちょっとやりすぎかな、ちょっと気持ち悪いかな、と思うこともあるけれどやはり地雷は事前に撤去しておくに越したことはないと思うので、隣席が見ず知らずの人であった場合には、必ず離陸前に「小さい子がおりますのでなるべくうるさくしないよう気をつけますが…云々」ということを一言断っておくことにしています。世の中には”現代の親たち”=”みんな非常識”という泣ける公式を脳内で成立させている意地悪な人も割と多い様なので、もしかすると隣の席の人ががそういう人であった場合にも、「出来る限り子供をわーわー言わせないように努めます」という事前の意思表示は、お互いにとって少なからず、プラスに働くと思うんです。実際、今までそうしてきたことで嫌な顔をする人は一人もいなくて、黒のだぼっとしたガラシャツを着た、一見非常に強面のおじいさんが、「むしろ私がお子さんを抱っこしてあげたいくらい」と言って、飛行中も息子に絶えず話しかけてくれたり、膝に乗せてくれたりと、とても親切にしてくれた経験は未だに忘れられません。逃げ場の無い狭い密室では、親も子も必要以上に神経をピリピリ尖らせてしまうので、だからこそ一層、見知らぬ人の優しさは身に沁みて救いです。


★因みに案外知られていないし、我が家もつい先日知ったのだけど、飛行機の中にもオムツ替え台があるんです(>ヤマモト夫人)。スチュワーデスさんにお願いしたらトイレの思わぬところから台を引っ張り出してくれるので、いざと言うときにも実は安心です。